2010年4月12日月曜日

日常からの目覚ましには哲学を一杯

いつものごとく二日酔いで頭が痛く、腹の調子が悪い一日でした。会場を下見に行き、顔写真も撮って、(勉強以外は)準備完了です。
今回は午後Iが合格なら(自分にとっては)合格としよう、と考えて落ち着いている。本来、実務経験もないのに資格だけを取るというのが、どうも間違っている(とは言いすぎだが)思うのだ。
テストは、腕試しというか、実力を測る機会として利用しようというもの。

書名:哲学入門 生き方の確実な基礎
出版:中公新書
著者:中村雄二郎
 始まりにして、再び訪れる必要のあるところ。

書名:哲学のエチュード 九つのテーマからなる入門書
出版:水声社
著者:道躰滋穂子

書名:悪なんて知らないと猫は言う 悪とヒトの優雅な哲学
出版:講談社
著者:左近司祥子
 思えばずっと犬をやっていた。猫というのも一つ試してみる価値はあるわけだ。

最近どうしてこんな調子なのか、それは情熱を失っていたからなのだと気づいた。それから、どんな生き方をしたかったのかということも思い出した。創造的に生きたい、今風に言えば「ものづくり」ということだ。
色々なことがあって、捻じ曲げられていたんだ。

成果主義というのは、ここまでの成果が出せれば何点と決まっている。だから、(乱暴な言い方をすればだが、)ある一定以上の仕事はする必要がない(やる価値はない)ということ。これは確かに、基準さえきっちりしておけば、点数はつけやすいし、得点もしやすい。コストダウンにもつながるだろう。だが、やっぱり、やる気をなくしてしまうだろう。どんなに自分なりの工夫をしてより効率の良い方法を考え出したとしても、または他者を手伝うつもりで自分の仕事以外のことをやったとしても、評価はされないということになる。まあ、しかし実際、多少なりとも評価できるよう工夫は取り入れられているのだが、体制として追いついていない(むしろ退行している)。私(日本人?)の気質には合わないということ。

邪魔は入る。本人はそういう意図があってやっているわけではないにしろだ。結局、受け取る自分の方に原因はあるのだと思う。意志の問題だな。

哲学することは、日常に没頭している自分の目を覚ますことになるわけだ。

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